醤油の五大産地は、千葉県の野田と銚子、兵庫県の龍野、香川県の小豆島、大野醤油です。
どうやら江戸時代の産地としては、関東は千葉県の野田と銚子、関西は兵庫県の龍野(うす口醤油)と香川県の小豆島、北陸は大野醤油だったということのようです。
ただ……五大醤油という言い方は少し微妙。
金沢の大野醤油が「五大醤油産地」のひとつと言っていますが、まあ、ふつう「三大」とは言っても、五大まではあまり広げませんよね。
なにせ、江戸時代の最盛期は……という話で、大野醤油の生産量は現在では多くありません。都道府県別醤油生産量で石川県は21位と微妙。
醤油の元祖は紀州の湯浅
ちなみに現在のような醤油は紀州、和歌山県湯浅で鎌倉時代の1254年に誕生したと言われています。臨済宗禅寺の僧である覚心(法燈国師)が、中国で金山寺味噌の醸造法を学び、それを湯浅に伝え、その亀山時味噌から醤油が生まれたそうです。
五大産地には入っていませんが、湯浅が醤油の元祖です。
野田の醤油の始まりは永禄年間(1558-1570年)。
龍野の醤油の始まりは天文年間(1532~54年)、天正年間(1573-1592年)、2つの説があります。
小豆島の醤油の始まりは文禄年間( 1592 ~ 1595 )。
銚子の醤油の始まりは元和2年(1616年)。
大野醤油の始まりは元和年間(1615~1623)。
五大産地の内、野田だけは紀州との関係がわかりませんでしたが、他の産地はいずれも、どこかの時点で紀州の醤油づくりの影響を受けています。
龍野は紀州に醤油をもたらした覚心が、湯浅の後、龍野にも醤油のつくり方をもたらしたと言われています。
小豆島で醤油が作られるようになったのは、大阪城築城のために、小豆島に石材を切り出しに来た採石部隊が携帯していた紀州湯浅の醤油だったとか。その醤油に興味を持った島民が湯浅に渡って醤油づくりを学び、醤油をつくりはじめました。
銚子で醤油が作られ始めて、しばらく後の、1700年(元禄13年)、紀州から移住した濱口儀兵衛がしょうゆづくりを盛んにしました。濱口儀兵衛は現在のヤマサ醤油の当主のご先祖様です。
大野醤油は、加賀藩三代藩主前田利常に命ぜられた直江屋伊兵衛が紀州湯浅で、醤油のつくり方を学んできました。
直江屋伊兵衛は大野醤油の直源醤油のご先祖様です。
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